OB・OG会

創部80周年部誌

三田バドミントンクラブ会員各位

『創部80周年部誌への寄稿のお願い』      令和2年5月25日

   三田バドミントンクラブ幹事長 昭和60年卒 草場 律

拝啓 青葉若葉の候、いかがお過ごしでしょうか。新型コロナウイルスが世界中を席巻し
いまだに先の見通しが立たない中、会員の皆様には様々な困難に見舞われておいでのことと
存じます。
過日の総会に際しては、異例の手段による開催にご理解ご協力をいただきまして
ありがとうございました。2019年度決算ならびに2020年度予算を承認していただきましたので
今年度の活動を開始しました。
現下の状況ではまだ会合を伴うような表立った活動はできませんが、
何か可能な取り組みはないかと考え、創部80周年(2022年)に上梓する記念誌作成に
着手しました。現在の進捗状況と、ご協力いただきたい事を下記の通りお知らせいたします。
できるだけ多くの方に携わっていただき、中身の濃い記念誌を作りたいと思います。
80周年を晴れやかに祝うことができますように、奮ってご協力くださいますよう
お願いいたします。                    敬具

   記

①編集委員を募集しています
  今のところ下記7名を編集委員として始動しましたが、メンバーは随時募集しています。
これ以外に慶応高校、慶應女子高の歴史をまとめるサブグループも作りました。
  全体編集のコアメンバーはもちろん、パート毎の取りまとめなど、
  個人でもグループでも参画していただける方はいつでもお知らせください。
  編集委員
  特別会員  古谷 正史
  S57 戸崎 隆
  S60  草場 律
  S60  池田 登志子
  H1   春名 肇子
  H29  松井 祐樹
  H29  村山 卓

②ホームページに過去の記念誌やデータを掲載しました
  慶應義塾体育会バドミントン部ホームページOB・OG会のページに
 https://keiobad.com/index/mpage/id/178
  創部当時からの記録や、20~70周年の部誌を掲載しています。
  お家時間にでもじっくり読んでみれば、今回の制作や寄稿に繋がるヒントも
  見つかるかもしれません。

③寄稿の募集を開始しました
  文章ばかりでなく、違う様式でも結構です。
  製版に際してはMicrosoft Wordを使用して寄稿いただくと助かりますが、
  現段階では完成した形の寄稿でなくても構いません。
  写真やデータを持っている、○○をやってみたい、○○ができそうという情報や、
  こんなテーマを取り上げたらどうか、こういう企画をしたらどうかというような
  制作全般に関するアイデアを是非挙げてください。
  寄稿は原則として三田バドミントンクラブ会員を対象として募集しますが、
  内容によっては会員以外の方に依頼することも了とします。
  今のところ、次のような章立てを立案しました。(順不同)

  【苦難を乗り越えて】
   第二次世界大戦の戦中戦後、安保闘争学園紛争、東日本大震災やこの度の
   新型肺炎の蔓延など、様々な社会不安・苦難の中で部が存続してきた軌跡を辿る。

  【記念館への想い】
   慶應義塾創立100周年の昭和33(1958)年から60年に亘って部とともにあった
   旧記念館の思い出や記録、また新記念館での新しい時代への夢など、皆の想いを残す。

  【6キャンパス10学部】
   卒業したOBOGと学生を合わせると、全学部を網羅している。各キャンパス各学部ならではの
   部員の活動やOBOGの活躍の様子を記録する。

  【オール慶應】
   近年は一貫校を含むオール慶應バドミントン部の活性化・強化を活動指針としている。
   幼稚舎・横浜初等部・普通部・塾高・女子高・創部の兆しが見えてきた中等部、
   各校のこれまでの歩みと体育会の関わり方を振り返り、更なる相互理解と連携強化につなげる。

  【各地からの便り】
   日本各地や海外に在住するOBOGの活躍と、部やバドミントンとの関わり。

  【多彩な行路】
   卒業後に様々な分野に進んだOBOGの所感や活躍ぶりの紹介。

  【月去り星は移るとも】(個人を偲んで)
   部に貢献された方、皆に愛された方、恩恵を与えてくれた方の思い出や感謝を記録に残す。

  【資料・データの掲載】
  
  以上の章立ては未だ決定案ではありません。他にも六大学交流、、創部75周年(式典という
  格式での祝賀は50周年以来25年ぶり)、体育会発足125周年などもテーマにしてもいいかもしれません。
  寄稿についても、個人でもグループ応募でも構いません。



三田バドミントンクラブ総会

令和2年5月18日


三田バドミントンクラブ会員 さま




                                                                                                                                                                  三田バドミントンクラブ会長 諏訪 芳博


拝啓


 平素は三田バドミントンクラブの活動ならびに現役諸君への支援をいただきまして、三田バドミントンクラブ会長として、心より感謝申し上げます。


4月にメール送信可能な会員269名と郵送者47に対して、総会内容を連絡し、否認される方のみ5月17日(日)までにメールにてご返信頂くようお願いしたところ

誰からも否認の連絡はございませんでした。よって、総会議案は承認されたとして


コロナ自粛解除後に今まで以上に慶應義塾体育会バドミントン部支援ができるよう三田バドミントンクラブ運営を進めていきたいと思いますのでよろしくお願いします。


敬具



法悦

法悦卒業生慰労会

昨年度は延期


2007年

2017年12月16日[土]-17日[日] 

4年生(上村、長谷川、荒川、川原、関根、加世田、石橋)、岩田監督、OB(梶田、草場)


2019年2月16日[土]-17日[日]

4年生(高嶋、野田、井本、榎本、高山、片山、富岡)、岩田監督、OB(鈴木英夫、諏訪芳博、草場)


2022年9月10日(土) ―11日(日)

男子 岡部、佃、稲原、田村、結城、竹本、女子 和田、白石、福田

OB 鈴木英夫、諏訪、岩田、草場


邂逅会

コロナのため、今年の邂逅会は中止になりました


第一回 邂逅会


バドミントンスクール

2020年1月12日(日)1015時 日吉蝮谷体育館


新年初打ち会



常任幹事会

2020年1月12日(日)1617時30分 日吉10号会議室 


広田氏資料



















バドミントンの流れ



昭和12年~20年代記録

創世記写真

創世記写真

創世記1

創世記2


創世記3


創世記4

創世記5

創世記6


六角邸


広田?


広田朝日スポーツ賞


小宮兄?

青年複優勝 岡兄弟


21・6 対YMCA


21・6 対YMCA


21・12戦後初対外試合

24・11初葉山合宿ー1


24年2月全日本出場メンバー

24年2月全日本出場メンバー1


25・9関西遠征1

25・9関西遠征2

25年主力メンバー1


25年主力メンバー2


26年12月ー1

26年12月ー2


27・113回全日本学生2回」全日本大学優勝


27・113回全日本学生優勝


28・12六角・三橋



28年新潟全日本出場者ー1

28年新潟全日本出場者ー2


32年頃


32年頃ー1


32年頃ー2


32年頃ー3


32年頃ー4


32年頃ー5


32年頃ー6


35・9・11 8回早慶戦


35年インカレ優勝


35年インカレ優勝ー2


35年横須賀合宿


35年中村・山田全日本W優勝


昭和28年記録

早慶戦 第6回~

創部20周年記念式典














創部20周年記念部誌

20周年記念試合プログラム

試合結果 昭和38年度

昭和30年代記録

創部30周年記念部誌

創立30周年に当って

部長平 良

義塾バドミントン部は本昭和47年をもって創立30年を迎えた。いうまでもなく,30年というのは大学バドミントン部として最古の歴史を意味する。また今から30年前の昭和17年は太平洋戦争の最もはげしかった時であり,それからの変遷を考え合わせるなら創立に,生い立ちにどれだけ苦労があったかということは容易に想像されることであろう。

すでに退職された寺尾先生,故人になられた奥井先生が戦中,戦後の混乱期に部の振興に心をくばられ,それをひきついだ白石先生が部長を退かれ,わたくしが部長をついでからでもすでに8年にわたろうとしている。この間,バドミントン部は長い間わが国のバドミントン界をリードし,バドミントン人口の拡大に大きな貢献をして来たと自負している。もっともこの数年間は必ずしも日本や大学バドミントンをリードして行くだけの戦力を欠いているが,バドミントンというスポーツの拡大がその人ロを拡大し,また日本全体としてはすでに世界をリードして行くだけの力を持つにいたっていることに義塾バドミントン部のともした灯がいささかでも役立つところがあったのではないかと一思っている。

わたくしがいうまでもなく,バドミントンは簡単なルールによって誰にでも出来るという長所がある。それが庭先や道路での遊戯として広く拡まっている理由でもある。またある種のスポーツと異って年齢に相応して出来るという利点を持っている。それと共に一歩進めるなら高度の技術を要請される複雑なスポーツでもあり,単に一匹狼であることを許さないチームワークを基礎にしたダブルスのプレイもあるといった,手軽であると同時にスポーツに期待される多くの要素を獲得できるものでもあろう。いささか自画自賛的とはいえ今後も部とバドミントンの振興に力を注ぎたいと思っている。

すでに述べたように,ここ数年間の戦績は必ずしも良いものではなかった。スポーツには「参加することに意味がある」といった一面があるが,同時にそれが口実になって厳しい鍛錬を避ける結果になりやすい。「参加するからには努力を」といったことがつけ加わる必要もあろう。30周年を穫会に努力が重ねられて慶応義塾バドミントン部が再び大学,日本,世界のバドミントン界をリードするにふさわしい部となるよう祈っている。

 

創立30年に際して

三田バドミントンクラブ会長

吹野家寿吉

慶応義塾に同好の集りとして発足して以来30年を迎え,月日の経つのは早いものとつくづく感ぜられます。その間多大の御援助,御指導を頂いた歴代の部長先生,体育会理事及び諸先輩に対して厚く御礼申し上げます。我部が現在あるのも,塾内関係の御援助と共に日本協会をはじめとし,各大学の並々ならぬ御協力の賜ものと深く感謝する次第であります。

30年の歴史の内には種々の想い出があり,その一つ一つが忘れえぬ場面として今でも鮮明に残って居ります。特に小生が監督として務めた昭和29年からの5年間は昨日の様に思い出されます。監督就任の時,三田の演説館に現役を集めて初めて抱負を語った時が大雪であったこと,就任の年に春秋のリーグ戦で優勝した感激,合宿前のトレーニングで現役と一緒に走ったこと,多摩川堤を往復した時の苦しかったことや33年の秋のリーグ戦初日に自ら坊主頭になったこと,その直後の四国のインターカレッヂで現役の坊主頭で高校生に間違えられたこと、その大会準決勝で最終戦セットオールで第3セット10-1とリードされてから逆転勝ちした事など思い出せば数かぎりなく昨日のようにはっきり思い出され非常に懐しく思い出されます。その5年間の短い体験でも全員で協力ー致してやれば必らず出来るという信念を得た事は,その後の小生の人生においても大いに役立っている事を今更ながら感謝している次第であります。現在の学生は昔と違うといわれますが,トレーニングの方法又は技術の吸収の方法には進んだ方法が取られるのは当然でありますが,人間何かをする場合如何にすべきかという点は変わりないと思います。

今後共,我部が隆盛になり,又バドミントン界をリードするを切に希望すると共に,永遠に発展

する事を願って止みません。

 

30周年にあたって

監督 宮永武司

まったくもって月日のたつのは早いもので,我バドミントン部も30周年を迎えることになりました。丁度10年前に私自身が現役四年生の時20周年記念であちこちとかけめぐった思い出もあり,なんとも言えない感激です。バドミントンも近年でこそ一般に広く行きわたりつつあり,ラケットを持っていてもテニスと間違えられることもなくなりましたが,諸先輩のお話しを伺ってみるとこの30年間という年月そのものが日本のバドミントンの歴史でもあると思います。慶応義塾体育会にあっては歴史の浅い我が部ではありますが,先輩各部の皆様を見習いつつ今日迄無事歩んで来ることが出来ました事を思い,今後共立派な活動を続けなくてはと決意を新らたにしております。かっては,日本のパドミントン界に名をはせた我が部も最近はどちらかと言うと戦績面ではパッとし

一2一

ませんが,「学生スポーツとしてのあり方」を十二分に理解しつつ出来る限りの努力を重ねています。私自身吉田先輩のあとを受継ぎ監督という大役を引き受けてから早や4年目を迎えますが,最近の学生スポーッ選手についてまだまだもの足りないもの一以前と比較するのは極めてむつかしい訳ですが一を感じ,何とかしてバドミントンを通じて学生時代を意義あるものとして生かせる様なバドミントン部確立に向って部員ともども話し合い頑張りたいと思っています。またさらに,私を含めた部員全員の念願でもある早慶定期戦優勝を最重点目標にして練習を積重ねるつもりです。つぎにもう一つの願いでもある一部復帰をはかり,再び日本バドミントン界の桧舞台へと飛躍の道を目指して行きたいと思います。最後に現在まで温かくご支援いただいた塾体育会はじめ,日本バドミントン協会関係者の皆様に今後ともより一層のご指導をお願いする次第です。

 

祝創部30周年

日本バドミントン協会副会長

森友徳兵衛

(昭和19年卒)

昭和15年にバドミントンのラケットを握った私は,戦中戦後を経て知らない内に30有余年をこのスポーツ界に費して了ったことになる。のみならず現況から推し測れば一寸やそっとで足を抜く訳に行かない状態になって了っていて,“これは大変”と思う一方,人生の楽しい一面をこわすにしのびないという複雑な心境にある。

昭和和17年10月7日の午後3時神田の東京YMCA地下食堂で創設された我が慶応義塾大学バドミントン部は,輝やかしい競技歴と幾多の不朽の名選手を生み育て,結果として戦後目覚ましい興隆を承し他の競技に例を見ない急速な成功を納め,世界1位の女子チーム,同3位の男子チームを確固として創り上げた大きな実績の原動力となっている。このことは日本のバドミントン史をひもとく人の全てが例外なく認め称える処のものである。本年10月正に我が部は30周年となる。時移り人変って次々と我が部をになう者が誠意の努力を惜しまなかった積み重ねがこの黄金の歴史30年であり,幸せにも創部のメンバーの一員であった私は限りない喜びと誇りと,また周囲の方々,後継者の人々に対し感謝の念を新たにするものである。

昭和37年9月7日日吉に於て宮永主将のときに創部20周年が盛大に行なわれた。36年1月に日本バドミントン協会の理事長になった私は,丁度この時ジャカルタの第4回アジア競技大会に日本代表チーム監督として遠征中であったので,栄えの式典に参列する機を逸したのである。

慶応バドミントン部の価値は,ラグビー部やフェンシング部についても同じであると思うが,日本史のどの協会やチームに比しても歴史上,組織上最古であって負けることがないことである。歴代のキヤプテを一つとって見ても慶応に比するに足るものはなく,全て歴史が若い。また古いものがあったとしても,もうろうとして切れ目がある。歴史,記録の刻みが系統立ってきちんとしているのは何といっても大学の部であることの強みであると思、う。現在から将来にかけて後継者が同

一3一

じように努力する限り,この誇りは永遠に続き追いつかれ追いぬかれることはあり得ないのであ

る。この上現在競技力が抜群で,日本代表チームに現役でもO.B.でもぞろりと名を連ねていれば錦上花をそえるに応わしいことでさろう。日本のバドミントンは世界に冠たる地位にある。併し我が部の競技力は少々わびしいーー大したこととはいえないまでも残念なことではある。

30年頃だったが,大阪のとある場所で私は加賀(旧仲地)君と我が部,我が0.B.の将来のあり

方について語り合ったことがある。結論は次の通りであった。今迄我々は我が国のトップレベルの選手を創り出すことに全力を注いだ。その結果各大学は強くなり,全国的にも普及が顕著となった。この目的は一応成功したと思うので,これからの我々は世界に対する日本のバドミントンを伸張発展せしめるために,良き指導者として一慶応のことより高次元の考え方をもって進むべく,現在O.B.を指導しようということであった。日本バドミントンの発展の原動力を我々がになおう,という


昭和40年代記録

創部40周年記念部誌

早慶戦 第27-53回 

早慶戦 第54回~ 2006年

1983年1月11日(火) 馬場主将の練習メニューノート


香港遠征1984年


香港遠征1984年 12月20-24日


五十年史

創部60周年記念部誌

 

目次 

1.  部創立60周年に当たって


前監督                   鎌田 喜久  

監督                    森下 一夫

前コーチ                  諏訪 隆博

主将                     田添 亮

2. 60周年特別企画    

陸の王者復活への道  宮崎克巳         

3.  座談会

細田仁、森下一夫、諏訪隆博、鈴木浩樹、大越岳、川野武久、手島洋一、

岩部直子、三壁敏隆、金丸敦

4.  女子部のあゆみ

片石千鶴子、ヤマンラール・水野美奈子、米倉縁

5.  各地からの便り     

長谷川敏彦、本山秀昭、中村久男、上野利三、桑野隆裕、渡邉真代、梶田和也、

中村時広、永井悟、阿部信正、木村能成、服部勲、安保実        

6. 10 YEARS of MEMORIES

奥出裕充、安達憲瑞、池田淳一郎、川南浩之、立田 祥章、藤澤美和、鈴木浩樹、

西村浩生、川野武久、圷賢、三輪敦、岸本真一、手島洋一、米谷香里、岩部直子、

三壁敏隆、金丸敦

7.  写真集 

平成11年新入生歓迎会、平成13年早慶定期戦   

8.   記録

平成4年-平成13年試合結果

9. 年表 

略年表部長・監督・主将・主務関東大学リーグ戦全日本学生選手権早慶定期戦

10. 編集後記



創部70周年記念部誌

目   次


        1、  創部70周年にあたって ―――――――――――――――――――  1

                 慶應義塾体育会バドミントン部部長      田村 俊作 ―――  1

                 元部長、三田バドミントンクラブ顧問    関場 武 ――――  2

                 慶應義塾高等学校バドミントン部部長     遠藤 耕一 ―――  5

                 慶應義塾女子高等学校バドミントン部部長 喜多村 隆 ―――  6

                 慶應義塾普通部バドミントン部部長      浦口 新吾 ―――   7

                 慶應義塾幼稚舎バドミントン部部長      武田 敏伸 ―――    9

                 三田バドミントンクラブ会長            小杉 良雄 ―――  10

                 慶應義塾体育会バドミントン部前監督    森下 一夫 ―――  11

                 慶應義塾体育会バドミントン部監督       五月女 季孝 ――  12

                 慶應義塾体育会バドミントン部元コーチ  茂木 一秀 ―――  14

                 慶應義塾体育会バドミントン部主将      川口 太希 ―――  16

        2、 月去り星は移るとも  ――――――――――――――――― 18

             故人氏名 平 良、六角 勉、大塚 伊三夫、吹野 家寿吉、 越川 啓、

                    本牧 慶三、森友 徳兵衛、橋本 公雄、磯見 精祐、岡本 圭、

福田 龍太、土田 佳子、都築 秀夫、木目 嘉崇、金原 俊次

        3、  女子部のあゆみ     ―――――――――――――――――――  26

                               大澤 恵子、広本 鮎子、伊丹 桂子、川崎 美耶、

福山 節子、茂木 百合、池田 登志子、岩部 直子

        4、    各地のたより    ―――――――――――――――――――  34

                       関西OB会 上野 利三、喜多 和夫、川野 武久

                       東海OB会           佐々木 祐一

                       四国OB会           笹岡 和彦

                       関東地区 山本 洋彦、平井 克英、宮地 昌之、安達 憲瑞

                       海外     永井 直彦、服部 勲

        5、 若き血の系図    ―――――――――――――――――――  56

              田添 亮、武井 由紀子、落合 惇、吉岡 達循、松下 光旗、

               坂根 洋介、広田 崇、小粥 貴善、小池 徹、手塚 純平、

中村 翔一、吉永 裕貴、坂根 宏志、高橋 明子、光井 翔、

山口 悦伺、前田 賢志、藤原 めぐみ、和栗 恵、渋谷 康太、

福崎 淳一、中嶌 優、森本 修介、石岡 陽平、中津 哲彦、

本田 聖子、真栄城 優、船矢 竜太、植田 啓生、石川 陽菜、清家 薫、

               竹内 裕詞、野村 和秀、植田 悠、松本 悠莉亜

        6、 座談会      ――――――――――――――――――― 102


  7、  10年間を振り返る  ―――――――――――――――――――  104

        7-1、年表(直近10年)     ――――――――――――――――――― 104

        7-2、エピソード紹介      ――――――――――――――――――― 106

  7-3、表彰選手一覧       ――――――――――――――――――― 118

  7-4、熱海・法悦の思い出 ――――――――――――――――――― 119

  7-5、ご家族からの寄稿   ――――――――――――――――――― 120

8、記録  記録            ――――――――――――――――――― 125

  略年表、歴代部長・監督・主将・主務、通史、リーグ戦、関東学生選手権、

  東日本選手権、全日本学生選手権、早慶戦、東京都大学対抗バドミントン選手権、東京都学生バドミントン選手権


特別付録  日本に於けるバドミントンの流れ  ―――――――――― 203


       編集後記


                                                            

        付録


             70周年記念DVD


            1960年インカレ優勝

         





連絡

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